[発行]講談社文庫(2017年9月13日)
裕福な家庭に生まれた賢治は、父(政次郎)から厳しくも自由に育てられる。政次郎は自身が幼少期にできなかったことを振り返り、賢治の意見を尊重してしまう。家業を継ぐのが当然だった時代に、政次郎は賢治の目線で見守るのであった。
■あらすじ
質屋と古着屋で裕福だった宮沢家の長男として生まれた賢治は、家業の跡取りとして厳しくも大切に育てられていた。父の政次郎は自身が幼少期に家業を継ぐため、成績優秀だったにも関わらず進学を諦めた過去があった。そこで賢治には中学に進学させることにする。成績優秀として入学したものの、卒業時は下位三割の成績だった賢治に対し、政次郎は「これで進学は考えまい」とある意味ほっとする。賢治もそれを察してか、家業を継ごうとするがうまくいかない。その様子を見て政次郎は賢治が接客に向いていない(できない)ことを察する。日に日に稼業にも身が入らない賢治を見かねた政次郎は、専門学校への進学を許可する。進学した賢治は政次郎の資金をあてにして事業への夢を語り、卒業後に研究生として学校に残ったのもの、何かと金銭の援助を求めてくる。政次郎は金目当てとわかっていながら”賢治のため”と言い聞かせ援助を続けるが、家業を継ぐことはない賢治に店をたたむことを思うのであった。肋膜炎により研究生を辞めた賢治は実家で静養を兼ねて過ごしていた。そんな中、東京の大学に進学した長女のトシが入院したとの連絡を受け、賢治と母イチは東京に向かう。2人の看病によりトシは回復に向かっていた時、トシは賢治に作家になることを勧めるが賢治は驚くばかりであった。トシは退院後、地元に戻り教師となるが、体調を悪化させ亡くなってしまう。悲しみに暮れる賢治はトシと同じ教師となり執筆活動を続ける。次第に賢治の作品が雑誌や新聞に掲載されるようになると、家長として厳格だった政次郎は賢治の活躍と共に優しくなっていくのであった。執筆に専念するため教師を辞めた賢治は、トシが闘病していた家を拠点に執筆活動や講演会、コンサートなど精力的に活動していた。宮沢家は次男の清六が継ぐことになるが、政次郎は自身が受け継いだ質屋ではなく、清六がやりたい仕事をさせることにする。それは将来の自動車などの普及を見越し、鉄の卸業を営むこととなる。一方、賢治は持病が再発・悪化し、結核の疑いがあると診断される。実家で療養を続けるが、その頃には清六の事業が軌道に乗ったこともあり、政次郎は隠居となり賢治の看病が日課となった。そんな大変な日々だが政次郎は家族だけの、二人だけの時間を大切にするのであった。
■感想
賢治は三度入院しているが、そこには必ず政次郎が看病している。男尊女卑が当たり前の時代に、男性が病院に寝泊まりし看病することが世間的にはどれほど白い目でみられたことだろう。それでも政次郎は自らその役割を買って出る。家では家長として厳格に振舞わなければならない反動なのか愛息への思いからなのか・・・何れにしても過剰なまでの愛情が伝わってくる。反面、賢治が成長していく過程で、学費の援助はもちろん、製飴工場を作ると言い出したかと思えは人造宝石をやりたいと言い、その都度、政次郎から資金や人材の援助を”当然のように”当てにするところは、裕福な家庭環境や政次郎の愛情(甘やかし?)かもしれないが、政次郎は(助言も含めて)手を差し伸べる。賢治の祖父、つまり政次郎の父である喜助からも「お前は、父でありすぎる」と言われるのだが、私は政次郎と賢治は親子でありながら”仲間”という意識が強かったのではないかと想像する。政次郎は自分ができなかったことを賢治に期待し、賢治は立派な父に追いつけるよう模索する・・・そんな関係だったのではないか。
政次郎のような父親は当時(明治〜大正時代)は奇妙に映っただろうが、現代ではどうだろうか。核家族化や女性の社会進出、少子化、多様な働き方など生活環境は一変している。長子は家業を継ぐことが当たり前ではなく、それぞれが自由に人生の選択ができる時代である。賢治だけでなく子供達は進学したり職業を自分で決めている。経済的に裕福だったことはあるが、政次郎の柔軟な考え方や時代を読む力は見習うべきところである。人は変化を怖がる生き物だと思う。変化は大きなパワーが必要だし成功する確証もない。それなら今やっていることを続ける方が楽である。しかし本当に発展・成長するためには衝突してでも変わる勇気が必要だと思う。宮沢家も質屋は政次郎の代で終わるが、次男の清六が新しい事業が順調に成長する。
賢治は病床で「雨ニモマケズ」を書いている。その時には政次郎も隠居しており、賢治の世話をしているのだが、最後の臨終には立ち会うことができなかった。政次郎は「雨ニモマケズ」を”言葉で遊んでいた”と孫たちに説明している。しかし私には「雨ニモマケズ」は政次郎のことを書いていると思えてならない。商才のない自分がやっと見つけた作家という天職。しかし大きな成功は得られず、最後の時まで政次郎の世話になっている。超えたくても超えられなかった尊敬する父を描いた詩ではないだろうか。そう思って読み返すと、賢治が病床で清六に「おらもとうとう、お父さんに、ほめられたもな」というセリフには心を打たれる。そしてその直後に(政次郎がいないことを確認して)息を引き取っている。賢治は生前に進学やお金・就職・病気で政次郎に負担をかけてきたが、最大の親不幸は「親より先に死ぬ」ことだろう。政次郎は賢治の最後に立ち会うことができなかったが、これは賢治の最後の”親孝行”だったと思う。政次郎は最後の瞬間を見ていないからこそ、いつもどこかに賢治の存在を感じることがきるのである。
この親子関係は何も特別なことはなく、親であれば子供の幸せを願い、危険が迫れば身を呈して防ごうとするし、様々な援助も惜しまないだろう。遠い過去の話ではあるが、現代の私たちの環境に照らしても身近に感じることができる作品である。本作は、天才・宮沢賢治を政次郎という父親という視点で描くことで、賢治の作品がより深く楽しめる作品となっている。子を持つ親世代に一読いただきたい作品である。
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